葬儀における挨拶として、
「ご冥福をお祈りいたします」
「お悔やみ申し上げます」
「ご愁傷様です」
「哀悼の意を表します」
こんな言葉がありますよね。
でも、実際に葬儀に参列する際に、どの言葉を選べは良いのか分からず戸惑うことはありませんか。
今回は、ご冥福とお悔やみの違いを中心に、宗教的に避けた方が良い言葉など、葬儀参列時に知っておくと役立つことをお話しします。
ご冥福とお悔やみ 意味の違いは?
「ご冥福」と「お悔やみ」の違いは様々ありますが、言葉を伝える対象が違うことを最初に理解すると使い分けが簡単です。
- ご冥福をお祈りいたします→故人に対する言葉
- お悔やみ申し上げます→遺族に対する言葉
では、もう少し細かく見ていきましょう。
「ご冥福をお祈りいたします」の意味は?
「冥」は冥界、つまり死後の世界を意味します。
「冥福」は、死後の世界における幸福となります。
ですから、「ご冥福をお祈りいたします」というのは「死後の世界で心安らかでいられますよう神仏にお願いします」という、故人に対する言葉になります。
「お悔やみ申し上げます」の意味は?
「お悔やみ」は人の死を悲しみ残念に思うことです。
ですから、「お悔やみ申し上げます」は「ご家族が亡くなりとても残念です」という、遺族に対する言葉になります。
ご冥福とお悔やみのニュアンスの違い
「ご冥福をお祈りいたします」というのは死後の世界があると信じるからこそ故人に対して出てくる思いやりの言葉であり、宗教心が関係しています。一方「お悔やみ申し上げます」という言葉は、見えない死後の世界は考えず、残された遺族の胸中を察する言葉であり、宗教心は無関係です。
その他の言葉について
「ご愁傷様でございます」の意味は?
「愁傷」は悲しむことを意味します。
「ご愁傷様でございます」は、「家族が亡くなり辛いでしょう、お気の毒に」という遺族に対する言葉です。
「哀悼の意を表します」の意味は?
「哀悼」も上の3つと同様に、「亡くなった方を思うと悲しくて胸を痛めています」という遺族に対する言葉ですが、他の3つと大きく異なるのが、主に弔電等の文章中で使うということです。
言葉の対象者と噛み砕いた意味については以下のようになります。
(1)故人に対する言葉
「ご冥福をお祈り致します」→天国に行けますように
(2)遺族に対する言葉
「ご愁傷様です」→悲しいことですね
「お悔やみ申し上げます」→残念でしたね
(3)文章中で使う言葉
「哀悼の意を表します」→悲しくて胸を痛めています
ご冥福 宗教によっては禁句!
「ご冥福をお祈りいたします」という言葉は現代社会の葬儀における慣用句となっていますが、全ての葬儀で使える慣用句ではありません。
使えない代表的な宗教宗派としては、キリスト教や浄土真宗があります。
この理由は、冥福の「冥」、つまり死後の世界である「冥界」の解釈にあります。多くの仏教では「死後四十九日間は霊として現世に留まっており、四十九日供養までに功徳を積むことで成仏し、極楽浄土(冥土)へと渡るとされています。ここで無事に極楽浄土へと渡れるように、ということで「ご冥福をお祈りいたします」という言葉になるのです。
ですが、
・キリスト教では神のご加護により天国に行ける
・浄土真宗では阿弥陀如来の導きにより直ぐに極楽浄土に行ける(=即身成仏)
というような考え方なので、冥福を祈る必要がないのです。
では何と言えば良いかというと、
・キリスト教→「安らかな眠りをお祈りいたします」
・浄土真宗→「謹んで哀悼の意を表します」「■■様を偲んでお念仏申し上げます」、「お浄土よりお導きください(故人に対して)」
というような言い方をします。
ご冥福の悪いイメージとは?
また、細かいことを気にする人の場合は
「『ご冥福をお祈りいたします』は宗教を問わず、けしからん!」
という見解もあるそうです。
これは、冥土という場所が、仏教の解釈では幸せなイメージのある、いわゆる「天国」でなく、とても暗くて冷たい、穢れた世界(地獄)だからです。(正式には「三悪道」である、地獄界、餓鬼界、畜生界を意味します。また、神道の解釈でも、「黄泉の国」で死者が落ちる穢れた世界を意味するということです。)
つまり、この場合の怒りのツボとしては「冥土のような穢れたところに故人の御霊がいると思われるのが不愉快」ということのようです。
さいごに
でも、現代社会では「ご冥福をお祈りいたします」という言葉は葬儀における慣用句となっていますし、無自覚で使うケースが多いのですよね。ですから、キリスト教の場合には葬儀会場の違いから一目瞭然でしょうし、仏教の葬儀でも浄土真宗だと気付いた場合には言い方に配慮した方が良いです。
とはいえ、現実的には浄土真宗と他の宗派の違いを分からない人も多いです。浄土真宗の葬儀でうっかり「ご冥福をお祈りいたします」と言う人がいたとしても、その人の心から故人を悼む気持ちには変わらないはずですし、指摘するようなものではありません。要は、故人を悼む気持ちと遺族を労わる気持ちが大切なのです。