「上司からの指示でも、マナーについては考えることが必要ですよね」
今回は「あや」さんの経験から、上司の指示であってもマナーについてはっきりとしなければ周りに確認したほうが良いというお話です。家庭でのマナーでも不安があれば周りに聞くことは大切ですね。
それでは「あや」さん、お願いします。

今回は勤務先で私一人の失敗によって上司や先輩に迷惑をかけそうになったという苦い思い出です
前任者なし!新人秘書の孤軍奮闘
私は20代半ばでとある中小企業に転職しました。
総務課に配属された私は、入社後間も無くして役員の秘書を兼任することになりました。前職で百貨店の販売員をしていた経験を買われての事だと思いますが、販売員といっても学生のアルバイトと大差ないレベルの経験だったので、正直荷が重い…と思っていました。
さらに私の気を落とさせたのは、前任者が不在だった事。というのも、役員秘書そのものが新たに設けられた役割だったので、一体何をどうすれば良いのか分からない、完全なるムチャ振りだったのです。
上司の指示は絶対!?
経験が無くても誰も教えてくれなくても、任命されたからにはやるしかありません。
本業の総務の仕事に加え、新たに上司となった担当の役員から指示される細々とした雑務をこなす日々でした。秘書とは名ばかりで雑用係と呼んだ方がしっくりくるかもしれません。
私の上司となった役員は、社長でこそなかったものの従業員から一目置かれる存在で、いわゆるカリスマ性のある人でした。その雰囲気から、この人の言うことは絶対だ、この人が言うなら間違いない、と盲目的に指示に従っているところがありました。今思えばこれが間違いのもとだったのかもしれません。
とある日、上司から1週間後取引先の会合に顔を出すから、赤白の金封に"志"と書いた金封にお金を包んで用意するように言われました。私は言われた通りに赤白の水引のついた金封に"志"と表書きをし、指定された金額を包みました。そしてそれを取引先に同行する営業担当者に渡すように、とも言われていたので、営業担当者に渡しました。
"志"と書くのはどういうケースだろう?なんの会合だろう?と少し疑問に思ったのですが、日々の業務に忙殺されて調べもせずに、言われた通りの事だけをしたのです。
上司だって知らないことはある
すると数日後、金封を託した営業担当者から電話がありました。
この間受け取った金封、"志"って書いてあったけどおかしくない?と。
その時私は、自分の仕事にケチをつけられたと感じ、とても嫌な気持ちになりました。そして上司がそう指示したのでその通りにしただけ。何か意図があるのではないか。というような事を答えたのです。
さらには上司がそうしろと言っているのだから間違いないはず、と。結局、私が頑なにそう言い張るものだから、その時はその会話で終わってしまいました。しかし、やはり納得がいかない営業担当者は自分で調べた後に、適切な表書きに変えてお金を包み直し、会合に持って行ってくれたのでした。
さらに後からこう教えてくれました。
"志"というのは、弔事において香典返しの表書きに使われるということ。もしかしたら上司は"寸志"と言いたかったのかもしれない。しかし寸志も、目上の人から目下の人に送る時だから取引先に贈る今回のケースには相応しくない。上司がそう言ったのかもしれないが、上司だって知らないことはある。それをフォローするのがあなたの仕事だ。言われた事を指示通りするのも大切な事だが、もう一歩踏み込んで仕事を進めなくてはいけない、と。
気持ちを入れ替えて再出発
この出来事から、いま一度慶弔のマナーについて自己学習する事にしました。このままではいけない、ととても反省したからです。
さらに、先輩の営業担当者に対する気持ちにも変化が出てきました。自分がキャリアを重ねてから感じた事ですが、人に何かを指摘したりアドバイスをするのは非常に労力が必要なのです。あの時、間違いを指摘してくれた営業担当者も、私のため、会社のためを思って勇気を出して伝えてくれたに違いない、と考えると感謝しかありません。
どうしてすぐに指摘を素直に受け入れなかったのか。今考えると恥ずかしくて仕方ありません。あの時もし違和感を感じながらも取引先に間違った表書きの金封を持っていってたら。恥を描くのは私ではなく私の上司です。イコール会社の評判につながります。ちょっとしたミス、ちょっとした確認不足で会社の評判を落とすわけにはいきません。
分からない事は曖昧にしない
今回は仕事での失敗談でしたが、家庭でも同じことが言えると思います。
特に弔事のマナーやルールは地域差が大きいです。例えば結婚して自分が生まれ育った土地と違う地方に行く場合、マナーやルールにおいて分からない点や、不安な点があれば親族や年長者に相談する事をおすすめします。
そして何より大事なのはアドバイスを素直に受け入れる心。自分のために言ってくれている、と考えるとありがたく受け止められます。