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浄土真宗の東本願寺と西本願寺の違いとその歴史とは?区別方法は?

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浄土真宗では東本願寺と西本願寺が有名ですが、どのような違いがあるのでしょうか。
また、なぜ違いがあるのでしょうか。

今回は、この違いとその原因となった歴史背景や、区別する方法等についてお話しします。

浄土真宗の東本願寺と西本願寺の違いは?

浄土真宗の有名なお寺といえば「東本願寺」と「西本願寺」ですが、これは両方とも京都府下京区にある、元は「本願寺」という浄土真宗の総本山だったお寺です。1602年にすぐ近くの土地に分立したことから「東」と「西」の呼び名が付けられたお寺です。

浄土真宗は鎌倉時代初期に、法然の弟子である親鸞が広めた教えが元となり、親鸞の死後に教団として発展した宗派で、親鸞の子孫が受け継いで法主(住職)をしていたお寺です。昔は「一向宗」「門徒宗」と呼ばれたこともありました。

日本の仏教の宗派の中では最大規模で約2万2千もの寺院があります。その中でもいくつかの派に分かれますが、真宗教団連合加盟宗派に加盟している以下の10の宗派が有名です。

・浄土真宗本願寺派(西本願寺)
・真宗大谷派(東本願寺)

・真宗高田派(高田本山)
・真宗佛光寺派
・真宗興正派
・真宗木辺派
・真宗出雲路派
・真宗誠照寺派
・真宗三門徒派
・真宗山元派

この中で最も規模が多いのが浄土真宗本願寺派で、次に多いのが真宗大谷派です。
この2つの総本山について細かくいうと、以下のようになっています。

浄土真宗本願寺派→本山:龍谷山本願寺(通称:西本願寺、お西)、寺院数:約10,500。
真宗大谷派→本山:真宗本廟(通称:東本願寺、お東)、寺院数:約8,900。

(ちょっと紛らわしいのですが、この大きな2派とは全く別の派で、「浄土真宗東本願寺派」があります。これは、東京都台東区西浅草にある「東本願寺」が本山の、真宗大谷派から独立した宗派です。)


浄土真宗の歴史 本願寺の分立の原因は?

本願寺が分立したのは、住職である親鸞の子孫の兄弟が「時の権力者に逆らうか和睦するか」という問題で対立したことが原因でした。

東本願寺と西本願寺の元である本願寺は浄土真宗の宗祖である親鸞の子孫が代々受け継いで住職をしていました。時代を経て戦国時代になると、浄土真宗の信者が団結するようになり勢力が増して、戦国大名と同じような力を持つようになりました。各地で戦国大名に立ち向かい、一向一揆を起こすようになったのですが、織田信長により制圧されました。

その当時、総本山である本願寺は焼き討ちに遭い本拠地を移していたのですが、信長亡き後は、時の権力者である豊臣秀吉とは友好関係を築き、1591年に秀吉から11世法主の顕如が京都中央部に土地をもらい、本願寺を再興しました。

ところが、顕如が1592年に亡くなるとその子供2人が対立してしまいます。まず、豊臣秀吉が介入して三男の准如が後継者に指名されたのですが、徳川幕府の時代になると徳川家康が介入し、1602年に本願寺のすぐ東側の土地を長男の教如に与えて寺を建てさせたことから東本願寺が分立する形になりました。

まとめると、

三男の准如(豊臣秀吉派)→西本願寺(浄土真宗本願寺派)
長男の教如(徳川家康派)→東本願寺(真宗大谷派)

となります。
両方とも、本願寺という名前に東と西がついているのですが、分かりやすくするための通称であり、浄土真宗の教えの内容は、ほぼ同じです。そもそも分裂の経緯である原因は当時の権力者に対して闘うか和睦するか、という点だったため、その原因が無くなれば特にいがみ合う必要がなかったのです。
そして、今では浄土真宗全体で「真宗教団連合」が作られており、相互交流を図るようになっています。西本願寺と東本願寺もこの連合に加盟しています。


浄土真宗の区別 東本願寺と西本願寺を見分けるには?

ということで、西本願寺と東本願寺の違いは、教えについては殆どありません。ですが、外見など細かい部分で色々違っている点があります。

これからお話しする言葉、発音等の違いについては、「東本願寺が分立した時に、本願寺のお坊さんの多くが東本願寺へ移ってしまい、西本願寺に残ったお坊さんだけでは後世に受け継ぐことができなかったのが原因」という説があります。そして、その結果、他宗派である比叡山天台宗にやむを得ず講式を習わざるを得なかったことで、東と西の方法が異なるようになったのだとか。

【言葉の違い】
(1)南無阿弥陀仏の読み方

代表的な言葉の違いは、「南無阿弥陀仏」です。
両方とも「南無阿弥陀仏」と書きますが、読み方は以下のように異なります。

浄土真宗本願寺派(西本願寺)→「なもあみだぶつ」
真宗大谷派(東本願寺)→「なむあみだぶつ」

(2)五帖御文の呼び名
本願寺八世である蓮如は教えを広めるための手紙を門徒に仮名書きで送っていました。この手紙は200通超もあったのですが、その中から80通を、蓮如の孫である圓如が抜粋して五帖に編集したものを「五帖御文」と言います。
1602年に本願寺が分裂する前は「御文」と呼んでいましたが、今は以下のような呼び方をしています。

浄土真宗本願寺派(西本願寺)→「御文章」(ごぶんしょう)
真宗大谷派(東本願寺)→「御文」(おふみ)

※他の派である真宗興生派では、「御勧章」(ごかんしょう)と呼んでいます。

(3)正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)
浄土真宗では日常の勤行で「正信念仏偈」(通称:正信偈(しょうしんげ))を読むのですが、東と西で若干音程の高さやテンポが異なることから節回し全体も異なる印象を受けるはずです。どちらかというと、東の方が昔の歌のように唱えるのに対して、西の方が重々しく唱える漢字です。

【ご本尊】
仏壇に設置するご本尊は阿弥陀如来ですが、仏像か掛け軸を選ぶことができます。(仏像の方が高く、掛け軸の方が安いです。)
その仏像と掛け軸ともに、東と西で以下のように、姿が微妙に異なります。

浄土真宗本願寺派(西本願寺)→仏像における阿弥陀如来の後光は太めに作られています。掛け軸における阿弥陀如来の後光は、頭部(上側)だけで8本あります。

真宗大谷派(東本願寺)→仏像における阿弥陀如来の後光は細目に作られています。掛け軸における阿弥陀如来の後光は、頭部(上側)に6本と、西本願寺と比べると少なくなります。

【お脇】

お脇というのは、ご本尊の両隣にいる脇侍ですが、東と西ではお脇が以下のように異なります。

浄土真宗本願寺派(西本願寺)
→向かって右脇:親鸞聖人(しんらんしょうにん)、左脇:蓮如上人 (れんにょしょうにん)。

真宗大谷派(東本願寺)
→右脇:十字名号(じゅうじみょうごう)、左脇:九字名号(くじみょうごう)。

【仏壇】
浄土真宗本願寺派(西本願寺)→仏壇の柱が金色中心で、派手です。
真宗大谷派(東本願寺)→仏壇の柱が金色もあるけど、黒色が多くて地味です。

【焼香】

浄土真宗本願寺派(西本願寺)→1回のみ
真宗大谷派(東本願寺)→2回

さいごに

浄土真宗の東本願寺と西本願寺については、元々1つのお寺だったのが昔の権力闘争に巻き込まれた結果分裂したお寺です。近くの場所に建てられており、名前が似ているので紛らわしいのですが、それぞれ浄土真宗の1つの宗派の本山として知られています。
ただ、正式名称は、

西本願寺が浄土真宗本願寺派
東本願寺が真宗大谷派

とされております。

これとは全く別で、浄土真宗東本願寺派というお寺があるのですが、これは東京にあるお寺が本山の別のお寺ですので、混同しないようご注意ください。

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